1.人権擁護と福祉行政について
(1)憲法第25条から第13条へ
憲法第25条第1項に「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とあります。初めて憲法にふれた時、この「最低限度の生活」とは、どういう意味だろうと思った事を今でも覚えています。
一方憲法は第13条で「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国家の上で、最大の尊重を必要とする」とうたっています。これは、たとえ障害があろうと、介護が必要な状態になろうと、自分の意志で自分らしく暮らしてくこと、誰もが幸せな生活を求めることが出来るという事を保障したものであろうと思います。つまり生活保護に代表されるような「最低限度の生活」を保障するという量の問題から、人間らしい生活をおくるという質の問題への、課題の変化、発展とみるべきだと考えます。理念と現実の差はまだありますが、介護保険などの社会保障制度の中で「措置」という言葉がきえつつあるのも、そのような変化の一つだと感じています。
しかし、今でも市民の側にも「福祉の世話になるとか」あるいは「なりたくはないとか」という言い方があり、行政の側にも「税金で面倒を見てやっている」「ぜいたくを言うな」とかいう考え方が残っているのではないでしょうか。市民も行政もその考え方から脱却し、これからは憲法第13条の理念に基づき人権擁護と福祉の諸施策を推進していくという、確固たる意志をもつべき時期だと考えます。「最低限度の保障」から「権利の最大の尊重」、つまり合い言葉は「25条から13条へ」となるべきです。いかがお考えでしょうか。以下の質問もこの基本理念に基づいて質問致します。 (2)障害者参加による障害者福祉基本計画
この計画策定は障害者基本法で明記され、本市でもすでに目安程度の長期指針を策定していますが、これでは不十分というのが私の立場です。この計画を策定することを前提に話を進めれば、計画策定に障害者自身が参加することは当たり前であり、問題はその参加する数と参加の仕方です。特に忘れがちであった聴覚障害者や知的障害者、精神障害者、その家族などの参加は絶対に必要です。また方法としては、懇談会とは別に、当事者や、家族、ボランティア団体からの聞き取り調査やアンケートの実施、討論会などの開催も必要です。フェスティバルのようなお祭り行事を一度ぐらい休んでも、あるいはその一環としてでも、実施するべきだと思います。また、策定はその中身そのものにまず意義がありますが、例え文章化されないやりとりがあっても、そのような策定作業を通じて、障害者やその家族の思いに対する、理解が深まることも大変有意義だと思います。計画策定の有無、あり方につい見解をお聞かせ下さい。
(3)人権擁護のための福祉オンブズマン制度
障害者と行政や民間の福祉施設管理者、特に入所施設での施設側と入所者側の関係は、基本的に対等ではありません。つまり「援助する」立場と「援助を受ける」立場が対等になる事はなく、必ず何らかの「まさつ」や「問題」が生じるものだと考えます。痴呆や寝たきり、知的障害のために、社会的、経済的自立に限界がある場合には援助が必要であり、放置されたり、心ない人が周りにいると、いじめや差別などの被害にあい、人としての尊厳や人権が侵されやすくなります。この基本的に対等でないという考え方についてどうお感じになるか、お伺いいたします。。
3月に横浜で開かれた全国福祉オンブズマン会議では施設側の人自らが、施設は人権侵害に陥りやすい体質があるとおっしゃっていました。また、平成2年から4年にかけて北海道で約千人を対象に「知的障害者の権利擁護に関する調査研究」が行われています。北海道内における知的障害者数は16,800人で、そのうち45%の7,100人が施設に入所されています。その調査結果によると、200件以上の人権侵害事例が報告され、さらに「あなたの施設では入所者の人権が十分に守られていると思いますか」との問いには「はい」と答えたのはわずかに15%。そして74%の職員が自分の施設の入所者を「不幸だ」あるいは「あまり幸せでない」または「答えられない」と回答しています。
さらにインターネット上での福祉関係者の本音のやりとりの中でも、そのような声が出ています。最近では、白河育成園事件のように知的障害者に対するひどい虐待事件が相次いで発覚してきています。そこで必要とされるのが、福祉オンブズマン制度です。東京都や中野区、三鷹市、横浜市などの公的機関が設置する場合は「権利擁護センター」とか、「苦情処理委員会」と呼ばれています。これらは知的障害者、特別養護老人ホーム入所者などの、人権を守るために、定期的な施設訪問、入所者や家族から相談を受けた場合は実態を調査し、時によれば指導勧告を行う機関であります。先ほどの北海道の調査でも、保護者の79%施設職員の70%がそのような機関が必要と回答しています。問題が起これば、本人や家族が施設や行政と直接話し合われる事もあると思いますが、問題によっては、感情的になったり、援助する側の立場に遠慮したものとなりがちです。
従来からも人権擁護委員や、児童民生委員などもこのような相談窓口の一つであるはずですが、権限の問題や、知的障害者に関する知識や接した経験が不足してるため、相談窓口としては無理があると思います。それだけに、先に申し上げたように、条例設置による公的なオンブズマン制度の創設をのぞみますが、必要性は感じていますか、お伺いいたします。
同じく権利擁護策の一つとして、成年(大人という意味)後見制度ということが言われています。これは高齢痴呆や知的障害により、本人の意志決定能力に問題がある場合、従来の全人格を否定するかのような禁治産制度に変わる、後見制度を作ろうというものであり、平成10年4月に法務省から民法改正の「要項試案」が出されました。主旨は保護から自己決定権の尊重です。これはたとえ家族であっても本人の代理人になり得ない事があるし、本人の意志能力が不十分な場合は、裁判所がそれを補う後見人を選任するものです。これとは別に、財産管理、財産保全だけを目的とするセンターを社会福祉協議会が設立した神奈川県大和市のような例もあります。厚生省の「障害者保健福祉施策のあり方について」の合同企画分科会でも、入所者の権利を尊重する生活支援、預り金の管理に関する指針、施設職員の研修、施設内の処遇についての苦情申し立て機関の設置などを、権利擁護の方策として求めています。ぜひこのような立場での取組を願いますがいかがでしょうか。
最後に平成10年5月27日参議院において、永年の要望であった「精神薄弱」という言葉から「知的障害」に変わる法案が全会一致で成立しました。衆議院の議決はまだですが、本市においてもすみやかに呼び方を変えるべきだと思います、いかかでしょうか。
(4)くすのき園などの福祉施設
くすのき園が、平成6年4月に定員60名、18歳以上が対象の、知的障害者入所施設となって以来5年がすぎようとする中で、存在意義や課題を考えてみたいと思います。
どんな障害があろうと「住み慣れた地域で暮らす事」が理想であり、そのための福祉施策がこれからも進まなければならないと思います。今後の入所施設のあり方は、一定期間施設機能を利用して、再び地域家庭に戻るための役割を果たすことだと言われています。しかし、地域生活の核になるグループホームの整備がなされていない現状、家庭環境によっては、施設での生活の方が本人の心身の健康を維持するために適切な事もあり、まだまだ施設の役割は大きいと感じています。さて、そんな中で、くすのき園と言うのは、行政の中でどんな存在なのでしょうか。くすのき園へ異動した人に対しては、「とばされたのか」とか「何か悪いことをしたのか」とか、あるいは「しばらくがまんしてくれ」とか「気の毒に」と言った声が庁内で聞こえるという事を耳にしました。それは、市政の中で福祉施設の重要性、役割が分かっていない人が多い表れであり、働いている職員に対しても失礼であり、入所している人に対する無理解と差別につながる考え方だと思います。福祉の現場を経験することは公務員にとって必要であり、わざわざ体験している所もあるぐらいです。まず、市長に市政の中での位置づけという基本的な認識をお伺い致します。
施設の場合訪れる人も少なく、なにより入所者自らが声をあげて訴えたり権利を主張したりする力が弱いため、閉鎖的になりがちです。私も部外者と言えば部外者ですが、自分なりに感じた事を以下率直にお聞きします。
まず、第一は職員配置の不自然さについてです。聞くところによると、くすのき園の場合在籍が10年以上にわたる長期の職員と、反対に3年で交代する20代の若い職員が中心の構成になっています。また、実質的に大きな役割を果たす臨時職員も安易に採用していないでしょうか。泊まり勤務という、他にはない勤務体制のためだと説明されていますが、入所者にとっては年齢、経験、性別のバランスのとれた職員配置が必要です。ベテラン、新人それぞれ長所、短所があると思います。勤めてみて初めて意欲が湧く人もいると思います。
しかし、基本的に入所者の事を考えた人事という視点は欠けているのではないでしょうか、お伺いいたします。次に、専門性を持った職員が不足しています。実際の援助は思いやりと、きめ細かい配慮があれば、専門性を持たなくても出来る事もあると思います。しかし、一口に知的障害を言っても一人一人状態が違うし、障害に対する専門的知識が必要となり、他の優れた施設などでの研修は欠かせないと考えます。専門職の採用が望まれますし、それが無理なら研修が必要です。いかがお考えですか。実際の研修はどう行われているのかもお聞きします。
次は夜勤の勤務時間についてです。平成10年度の事業計画書によりますと、
午後1時15分から翌朝の9時までの勤務で、二日間勤務の計算になっています。正規職員の他に夜勤の委託職員もいます。他の県下の施設に電話で聞いてみましたが、このような勤務体系の所はありません。ほとんどが朝から翌朝までの24時間勤務、もちろん眠る時間はあります、これで2日勤務です。
電話でお聞きしただけですし、施設によって状態も違うのかもしれません、しかし、私が言いたいのは、朝から夕方、眠るまでと言う入所者の生活リズムにあわせた勤務と工夫が必要ではないかという事です。実状はどうなんでしょうか。変更の余地はありませんか。
次に入所者の人権を守るという意識の問題です。施設が抱える問題の解決には制度上の壁があります。しかし職員の意識や態度で解決できる問題も数多いと思います。施設に求められるのは、指導者の高い人権感覚、開かれた施設、自らを律する倫理要項の制定であり、この倫理要綱を職員自らが作ることを提案致しますが、いかがでしょうか。最後に運動施設としての体育館の建設が望まれていますが、具体的な取り組みをお聞かせ下さい。
つぎに慈光園についても伺います。慈光園は現在81名の方が入所されています。一層の高齢化により、お身体が弱い方が増えているようです。この施設の位置づけですが、豊かな社会になったといっても、まだまだ施設を必要とする方はたくさんいらっしゃると思います。また、介護保険実施により、これまでなら特別養護老人ホームの入所対象になっていた方でも、それがかなわなくなりそういう場合の施設としても必要となってくると思われます。現状の慈光園は建物の老朽化が著しく、特に2階建てのため、足の弱い方も階段を使って上り下りしているような状態です。慈光園の現状をどう認識し、将来像をどう描いていますすか。こういう施設の改築というのは生きた公共事業です。いかがでしょうか。
最後に東新学園も含めて福祉施設の委託化が言われていますが、職員定数などの問題もあり簡単な事ではありません。特に、福祉行政の中で施設の位置づけがあいまなままで委託化という言葉だけが出てきていると感じています。つまり実態としては何も進んでいないのに、いずれ委託というまぼろしのために、現状が沈滞していると感じています。委託についてのこれまでの論議の内容、方向付けが出来ているのかお聞かせ下さい。
(5)情報障害、移動障害、動作障害の解消
このような分け方をしたのは、障害者福祉施策を考えるとき、視力とか聴覚とか肢体不自由とかという、従来からの障害別の考え方でなく、その障害によってどんな不自由さがあるのか、その事を意識していただきたいからです。
以前から申し上げているように、障害がある事は決して不幸な事ではないと思います。不便で不自由なだけです。共に生きるまちづくりのために、また障害者の自立のためには、不便で不自由な壁を取り除いていただきたいと願っています。分かりやすく言えば、視力が悪くともめがねやコンタクトレンズで補うことができます。視力が低いと、文字が読めないという情報障害、移動に危険がある、車の免許が取れないという移動障害、細かい作業が出来ないという動作障害がおこります。それらを補うのがめがねの役割であり。それによって視力が低いという機能障害を補い、教育、職業などで社会的不利を受けなくてすんでいるのです。手話や点字や車椅子の役割がそうであるように、すべての障害者にとって、めがねの役割を果たすものが必ずあるはずです。そういう意識を持っているのか、持って欲しいという願いからお聞きします。
次に具体的にお伺い致します。情報障害という意味では、社会参加の一つである、冠婚葬祭、消費者保護のための契約行為などへの手話通訳派遣の範囲の拡大、中途失聴者、難聴者のための要約筆記派遣事業の開始が望まれます。
移動障害の解消は、道路の段差解消や、施設内で車椅子でも自由に移動が出来るいわゆるバリアフリー化です、進んでいるでしょうか。都市開発部の取り組みもお聞かせ下さい。新聞によると民間タクシーも車椅子のままで乗れるタクシーが登場したようです。心障センターの通園バスが新しくなりました、社協に委託しているリフト付きの他のバスも含め、一定のルールを作り、空いている土日に障害者の方が有効に活用できるようにして頂けないでしょうか。視力障害者の方のための盲人ガイドヘルパーさんも、現在の10名からの増員が望まれますがいかがでしょうか。最後に西中学校の改築が計画されていますが、例え車椅子の生徒が入学しても、なんの改良も必要のないぐらいに、最初からなっているでしょうか。お伺い致します。
(6)市が主体の精神障害者福祉
この課題についても何度も申し上げてきました。今回市が主体とあえて申し上げたのは、障害者基本法や精神保健福祉法で明確に福祉の対象となったのに、保健福祉手帳の交付窓口が保健所となった事などもあり、まだ市の仕事としての認識が不足しているのではないかと感じるからです。そんな事はないか、まず伺います。その保健福祉手帳にしても手帳を持っても、受ける制度が著しく制限されており、その拡大を願う運動が起こっています。本市でも、作業所の移転拡大、グループホームの誕生、精神保健ボランティアグループの発足などにより地域で暮らす体制づくりが当事者や家族、ボランティアを中心に進んでいます。これに加えてさらに一層の市の福祉施策の充実を願ってお聞きします。
まず、一人年額3,000円の心身障害者福祉金の対象になっていません。障害者基本法の精神から言って、当然対象となるべきだと考えますがいかがでしょうか。また「翼の会」という回復者の会も発足し、ピアカウンセリングつまり、病気や障害を経験した当事者が、様々な活動を通じて同じ悩みをもつ人の相談にのり、回復を早めるという活動もしています。80名を超える方が参加する当事者団体として、認めてしかるべき行政の支援をお願いしますが、いかがお考えでしょうか。
(7)児童虐待問題への対応 全国各地で児童に対する、身体的、精神的暴力、育児放棄などのいわゆる児童虐待事件が起こっています。厚生省も本年3月「家庭内虐待防止」を都道府県に指示しました。この新居浜でも起こり得る問題です。この問題は当事者や家族からの訴えはぎりぎりまでなく、周りの人も、なかなか「あそこはあやしい」とは言いづらいものです。小学生や中学生でも起こりえますが、学校を通じてわかったり、本人の訴えがある場合もあります。しかし、本人の声も届かない、乳幼児から小学校入学前が最も心配です。周りの人が「おかしい」と思った時、誰でも連絡できる受け皿づくりが必要です。従来から市役所児童課、県の児童相談所などがありますが、それだけでは不十分ではないでしょうか。警察や、県も関係しますが、事前防止と事後対応の両面からの対策が必要ではないでしょうか。お伺いいたします。
(8)同和問題と人権教育
平成9年より人権擁護施策推進法が施行され、同和行政の転機を迎えました。同和から人権と言われていますがこの言葉の意味することは何でしょうか。 同和教育から人権教育と名称が変わる傾向がありますが、これはどう理解すればいいのでしょうか、まずお伺いします。 さて、差別解消に向けた同和行政の必要はもちろん市長も認めています。 その同和行政を進めるのに愛媛県同和対策協議会を唯一の団体として認め、 これと連帯するというのが、愛媛方式です。同和行政のトップと支部長という団体のトップを兼任している市長が、新居浜の同和問題の最高責任者である事は明白です。その責任は重いと考えます。支部問題では常に市長は「協議調整を行う」とおっしゃってきました。どんな協議調整を行ってきたのか、どんなリーダーシップをとってきたのかお伺い致します。具体的な同和教育の問題として、地区別懇談会への職員参加の実態についてはいかがでしょうか。さらに、PTAの研究大会で川之江の学校が発表していましたが、地区の同和対策協議会に指導、意見を求めて同和教育に取り組んでいる様子を発表しました。新居浜ではこの7年間そんな事さえできない状態ではなかったでしょうか。支部問題による同和教育への弊害を感じていないでしょうか。また、団体に対する補助金本来の役割は、団体会員が研修によって、学習を行い、自らも高め、それを地域の差別解消のための学習や、運動に活かすというのが目的ではないのでしょうか。そのための補助金を使っていないという事は、もうそんな必要はないと感じているのか、お伺いいたします。
さて、今年は1948年国連で世界人権宣言が採択されて50年になり、それを記念して作られた12月4〜10日の人権週間の間、各地で記念行事が開かれるようです。また1997年から「人権教育のための国連10年」が始まっています。本市における記念行事、あるいは人権週間の取り組みについてお伺いいたします。
最後に学校での特殊学級という名称について、伺います。各学校ではそれぞれクラス名をつけて呼んでいますが、まだ全体では「特殊学級」という言葉が使われています。ノーマライゼーションと特殊という言葉は全く相反する言葉です。特殊学級、障害児学級という言葉は絶対に使いたくないという親の声を聞きます。特殊と言うのは、本来は「教育を行うのに特別な配慮を要する」という意味の、教育の方法の問題であり、児童生徒の状態を表す言葉ではないはずです。つまり、教育の方法としては特殊教育であっても、学級は特殊学級ではないと思います。役所の文書の中で使わざるをえない場合もあると思いますが、それ以外は使わないべきではないでしょうか。どうしても必要な場合は「育成学級」などの名称にするべきだと思います。お考えをお聞かせ下さい。