市政報告会-1999年3月22日 新居浜テレコムプラザにて
今日はお話をする上で、二つの事に気をつけてお話をしたいと思います。一つは「理念」が大切という事です。理念とは辞書でひくと「どうあるべきかという根本的な考え方」とあります。「理念先行」という言葉を中坊公平さんがおっしゃていました。先行とは理念がまず先にくる、大切という意味です。中坊さんは住宅専門金融会社、通称住専のお金の後始末をするために作られた国営会社の社長です。すでに6850億円という税金が住専処理のための使われており、「これ以上国民の税金を住専処理に使わせない」という信念で、相手が暴力団であろうと、大銀行であろうと、裁判を起こすなどあらゆる手段を取り、時には自分を任命した政府にさえもずばずばと意見をいう方です。この方は、森永ヒ素ミルク中毒事件の被害者側弁護士を勤め、現在も続いている香川県豊島(テシマ)の産業廃棄物処理問題にも島の人の立場にたって活動しています。今の日本の中で最も信頼できる人物ではないかと思っています。この方がおっしゃる「理念先行」というのは、事にあたる場合まずしっかりした理念を持ち、それから戦術、戦略を考える、決して戦術や戦略つまりかけひきが先にきてはいけないという事です。
もう一つの言葉は脚本家のジェームズ三木さんの講演で聞いた、「自分だけが体験したことや、自分だけが知った事を、誰にでもわかるように話をする事が大切」というものです。
分かりやすい話、言葉の大切さと言うことは、手話や点字、要約筆記などのボランティア活動を通じても教えられる事が多くありました。手話は、手の動きと口の動き、顔の表情によって意志を伝えることばです。私たちが声に出して話すことばにない、素晴らしい感情表現や会話をする事ができます。しかし、話し言葉を通訳して伝える場合、私たちが使うあいまいな言い方や表現、専門用語、カタカナ言葉などは正しく伝える事が出来ない場合があります。
視覚障害者の方の場合も、私たち晴眼者は漢字やカタカナを見ることによってその意味が分かったり、人の話しも相手の表情をみる事で言葉の意味をより感じることができます。そういう意味で、身体の障害よりも大きい情報障害というものがあります。しかし、これは障害者の人だけの問題ではなく、言葉や文書、パンフレットで専門用語やカタカナ言葉を使ったり、役所言葉、議会言葉と言われるような難しい言い回しをする事でどれだけ本当に意味が多くのみなさんに伝えられているのか、という事を手話や点字を学ぶことでいっそう考えさせられました。今日はこの「理念が大切」ということと、「わかりやすい話をする」という事を自分自身に言い聞かせながら話をさせていただきます。
それではまず自己紹介から始めます。私は昭和30年1月3日生まれの44歳です。
泉川中学校、新居浜東高から中央大学法学部政治学科を卒業しました。その後新居浜に帰り、松山三菱自動車販売の新居浜営業所、松山本社で9年間サラリーマン生活を送り、32歳で市議に当選させていただき、以来12年間勤めています。家族は、妻と、中学生と小学生2人の子供3人、両親と7人家族です。身長は170a、体重は68キロ。最近実は顔が丸くなっているので、太ったとよく言われますが、 これから一生懸命運動したらやせれると思っています。
さて、これからの話については3つに分けてお話させていただきます。まず、市政の課題の中で来年4月から始まる介護保険について、次に「福祉でまちづくり」、
という事について、最後に私が考える議員のあり方についてです。
それでは介護保険についてお話をします。現在の福祉制度では介護が必要になって、特別養護老人ホームへ入所したりヘルパーさんの派遣を依頼する場合などは、まず市の高齢福祉課へ申し込みます。市が調査をし、市が指定した施設へ入所し、その必要な費用は、それぞれの所得によって一定の負担はありますが、原則的には全額税金で負担されています。ですからもしご本人に所得がなければ、負担はほとんど0となっています。この介護に必要な費用を、税金と、40歳以上の国民全員が負担する保険料で負担する方法に変わります。保険料と税金との負担割合は半分半分です。
実は何年か前から社会保障制度の改革が行われてきました。社会保障制度とは、医療、年金、福祉です。この改革の基本理念の変化は、「応能負担」から「応益負担」への変化です。応能とは能力に応じて、能力を言い換えると所得です。応益負担の益は利益です。何の利益かというと福祉サービスを受けるという意味の利益です。現在特別養護老人ホームで生活されている方の、自己負担額は本人の所得によって違います。年金が多かったり、土地の売買などで一時的に所得があったりすると、負担は月20万円を超える人もいます。一方所得のない方は、負担が0に近い人もいます。月20万円と0円、これが不公平だと言われないで続いてきたのは負担能力に応じて負担するという応能負担の理念つまり原則によるからです。子供さんが保育園に行かれている方はわかるでしょうが、保育園の保育料もこの所得に応じた考え方で決められています。これが介護保険になった場合、どの人も一律10%の負担となります。現在の水準で行くと、施設の場合、月3万円ぐらいの利用料に、食事代などがかかり5万円から6万円になると言われています。今、例にあげている金額は実際とは多少幅がありますのでその点はご了承ください。この一律という考え方は、応益負担の原則によるものです。つまり、お一人のお世話をするのに必要な人や費用は変わらない、同じようなサービスを受けるという利益においては同じなのだから、一律に同じように負担してもらいますよというものです。
こうした変化の理由は大きく4つに分けられます。
その一つは高齢者人口の増加とそれに伴う、介護が必要となる人の増加、これからも増加し続けるという事です。介護を必要とする人が増えるという事は、それにかかる費用使われる予算が増えると言うことを意味します。新居浜市でも65歳以上人口が20%を越えました。5人に一人です。「少数の人が困ったときに受けられる福祉制度から」「誰もが受けられる福祉制度に変えるためには」今までような、税金、公費負担だけでなく、社会全体で負担する、具体的には保険料という形で負担してもらおうというものです。社会全体で負担するならば税金でまかなえばよいという意見もあります。しかし、それならば増税しなければならない、それより保険料でという説明です。
二点目は介護に関する家族のあり方の変化があります。社会全体で介護するということは、家族が介護するということを前提としないという事になります。最近では、福祉施設への入所に対して以前のような心理的抵抗は少なくなってきているようですが、家族がいながら施設に入っている、あるいは入れられているというような世間の見方もまだ残っています。また、子供が市外で離れて暮らしている家庭が多くなっています。また家庭での介護は女性問題と言われるように、家庭での介護は84%は女性です。介護のために仕事をやめなくてはならないというような話もよく聞きます。さらに「老老介護」という事もあります。老老の老は老人の老、つまり70歳の女性が、90歳の親の介護をしているような状態があるという事です。お家で介護をしている50.9%以上が、60歳以上の方だという厚生省の調査結果もあります。
三点目は福祉事業に民間会社が入ってくることです。これまで福祉は公が行うか、社会福祉法人が行うかでしたが、これに民間会社も入ることができるようになります。民間が入ってくることは、競争が起こるということです。そしてどの施設を選ぶか、どのヘルパーさんを選ぶかが自分で選択できるようになります。しかし選択できるということは、選択されるという事でもあります。民間の経営感覚だけで福祉が行われると、採算の合わないところが切り捨てられないか心配です。
最後の理由の一つは医療制度が財政的に苦しくなってきたということです。1980年代から、在宅で介護しきれないお年寄りが、病院へ長期入院するようになりました。本来福祉制度で世話をするべきものが、福祉制度が整っていないため、代わりに病院に長期間入院するいわゆる「社会的入院」と呼ばれる形が出てきました。この老人医療制度も5割が税金負担、それに加え働く人たちの健康保険組合や国民健康保険からも多額のお金がでており、組合によってはその負担により赤字転落する所も出てきています。それらを解消し、医療と福祉の役割を見直そうというのも一つの理由です。
以上説明してきましたが、結局「いつでも誰でもどこでも、必要な時に、必要な福祉サービス、質の高い個人として尊重される福祉サービスを受けることができる」というのが、基本理念だと思います。よく言われるデンマークやスエーデンなどの北ヨーロッパなどでは、税方式で十分に、誰もが質の高い福祉サービスを受けられる制度が作られています。大改革にはもっと議論と準備期間が必要なはずです。しかし、そうならなかったのは、すでに世界一の長寿国となった日本では何年も議論をする余裕がない、日本人のかなりの人が75歳から85歳まで生きられ、その半数の人は介護が必要な状態になっているというのが現状です。要介護発生率、つまり介護が必要となる確率は、65歳以降で45%となっています。これに、自分の夫や妻、親が介護が必要になる可能性も考え合わせると、高齢者介護は誰にでもおこる問題であり、個人や家庭だけでは解決できない社会全体で取り組むべき問題となってきたわけです。それならば福祉に必要な予算は確保する、もっと増やすべきだと思うのですが、この、財政の構造改革−金の使い方の問題は議論するだけでいっこうに進みません。従って、悲惨な高齢者介護の現状をこのまま何年間も放置するよりは、問題もあってもまず新しい制度を作り、実際に運営しながら改良していこうという方法をとったという事です。本来は介護を社会全体で行うという事では、大方の国民の合意を得られるとしても、その費用をどこからだすのかは、議論が続けられる必要があると思います。介護保険制度は2005年には見直しされると言われていますが、税金か保険かどちらの方法がお金を集めやすいかではなく、権利としての福祉を確立し、社会全体で支え合う最良の方法は何なのかが、もっと政治の場で議論される必要があります。
次ぎに具体的に3点について申し上げたいと思います。それは、保険料や利用料はいくらか、公平な判定が出来るのか、施設・人は足りるのか、この3つです。
保険料については、この話が始まった2年前に65歳以上の人の場合、一人月2,500円ぐらいになる見込みと発表されました。40歳から64歳までの方は、健康保険と一緒に自動的に引かれます。従ってこの場合は、会社負担や保険組合が半額負担することになります。しかし、これは平成7年度で試算したものであり、これから対象者の数も増え、福祉サービスの量も増えてくるとこれではおさまりそうにありません。税金でまかなう場合と、保険との違いは、税金の場合はまず予算があります。いくら介護が必要となる人がいても、予算以上の事はできません。しかし、保険の場合は相互扶助ですから、保険を使う人が増えると、自動的に保険料も高くなっていきます。これがいくらになるのか、2,500円と大きく違うのならば、「それは最初と話が違うぞ」となるわけです。実際、高知県では県下平均3,800円です。これでは払えないという方が多く出て来られる恐れがあります。利用料の1割負担と言うことについても、例えば現在ホームヘルパーさんを利用している約480世帯の内、無料世帯は380世帯と約8割ありますが、これが全て1割の利用料が必要になってきます。
次は認定の問題です。認定とは医者でいう診察です。これを行うのは、新しく国家資格となった介護支援専門員と呼ばれる方です。これらの人はヘルパー経験者、看護婦さん、保健婦さんなどが試験を受けて資格を取られています。介護が必要な状態になった場合、この人たちがまずその方のお家へ伺い、体の状態、生活の状態について、聞き取り調査をします。この結果を点数化してコンピューターにかけ
これにかかりつけ医の意見が添えられて一次判定が行われます。その後医師や福祉関係者で組織される認定審査会で二次判定を経て最終的な介護認定が行われます。認定は介護が必要な状態によって月6万円から30万円ぐらいの6段階に分けられ、例えば30万円の場合、その金額の範囲内で利用できるヘルパーや訪問看護などのサービスを組み合わせるようになります。昨年からモデルケースとして判定作業をしていますが、同じような状態と思えても、身の回りの世話を家族がいると自分のことは自分でしなくなっている場合と、独居や老人世帯のために、やらざるを得ない人では判定結果が違ってくる場合があります。数字に表しにくい意欲、リハビリをしてよくなろうとかいうような意欲というようなものをどう判定するのか、状態がよくなると介護保険で受けられるサービスが少なくなるとなると、そういう意欲がわいてくるのか、施設の側から言っても、よくなれば施設を出てもらわないといけない、あるいは良い方向に改善したら、施設へ入るお金が減る事になって、施設の側の意欲もそがれるのが心配です。また、現在施設に入所されている方や、ディサービスなどを利用している方の中でも、判定の結果によっては介護が必要な状態ではないと判定され、利用できなくなる人も出てきます。なお、判定作業は今年の10月から始まります。
3つ目は施設やヘルパーさんの問題です。仮に保険の趣旨は分かった、判定も仕方ないだろうと納得した場合でも、施設に入れる状態なのに、施設はあるのか、介護認定に基づく介護計画を立ててくれたら、週1回のディーサービスと週3回のヘルパーさんが来てもらえるはずだが、ヘルパーさんはいませんとならないのか。保険料だけ払って、サービスが受けられないことはないのかという心配です。現在新居浜市内で特別養護老人ホーム入所待機者は176名、今のままでは2年待ちです。ヘルパーさんも今年までに115人が必要という計画に対して88人です。施設については新しい施設として療養型病床群と呼ばれるものが出来ます。これは病院内に病棟とは別に介護専門の施設を作るものです。現在、住友、十全が50ベッドを一般病棟から介護型へ転換、立花病院なども増設をしています。他にも計画をしている病院もあり、250人分ぐらいのベッドが新たにできます。これだと当面大丈夫そうです。しかし実は今から7年ほど前に、新居浜市が高齢者保健福祉計画というのを立てました、その時特別養護老人ホームは150人の定員で、そのころの待機者が100人ぐらいでした。平成11年度には380人の施設を作る計画を立て、これは計画通りできました、これだと待機者はいなくなっているはずですが、現在でも176人の方が入所待ちです。つまり高齢化が進み、病院での入院が規制される中でどんどん増えてきている事がわかります。これからもこれで十分とは言い切れません。現在市は65歳以上で約3,000人の方が介護保険の対象者となり、判定をするのはその倍の6、000人ぐらいと予想しています。施設と人の充実が急がれます。
実は最初に高齢者福祉施策のほとんどを介護保険に移ると言いましたが、介護保険だけが高齢者福祉ではありません、いきがいづくり、健康づくりそれらも含めた施策が必要です。市としては、矛盾があっても問題があっても、介護保険が始まることを前提に準備をしなければなりません。私も「よくも悪くも介護保険」が始まるのを前提に話をしています。市としてしなければいけないことは、出来るだけ現在の情報を公開すること、市民に制度をよく説明すること、判定の信頼性を高めること、介護保険の対象とならない人に対する対策を充実させること、負担しきれない低所得者の人に対する対策をとることなどです。
介護保険だけの話でも2時間あっても足りないぐらいです。今日は具体的な手続きよりも、基本的な考え方をお話ししました。まず、このことを理解しておくことが大切だと思ったからです。
2.次に私が目指している「福祉でまちづくり」ということについてお話しします。
「福祉の」でなく、「福祉で」というところに意味があります。福祉のまちづくりという場合は、市政の中で道路行政や教育行政と横に並んだ形の位置づけになります。「福祉で」というのは、すべての行政を福祉という事を中心に考えていく進めていくという考え方です。
具体的に申し上げると、学校教育の中では、生まれ育った地域で親元から通い学校生活を送るということが出来るよう、新居浜に県立養護学校もあり、身体が不自由なこどものためには学級の改造、指導教員の増員などを行い、普通校か養護学校かを地域の中で選べる環境が必要です。それが結果的にもすべての子供達にとっても教育の効果をあげることにつながり、今さかんに言われている心の教育というところまで深める事ができるのではないかと思っています。また大学誘致についても、福祉医療系の大学専門学校の誘致を目的にするなどの取組が必要です。
産業の活性化についても、新しい工場ができるたびに人が減っていくという状況に比べると、福祉施設が出来ると、人を雇います。ベッドや車椅子などの福祉機器の開発も進んでいます。新居浜でも鉄工業界と高専が協力して介護機器研究会を作って商品化を進めています。福祉施設の建設を増やすと建築関係の仕事も出てきます。 環境問題についての考え方も「人権を大切にして命をまもる」という事は福祉の考え方にも通じます。
災害時の防災関係でも、障害者や高齢者を守ることを基準に考えれば、全ての人に対して安心で安全な防災対策が立てられます。
道路や建物を作る場合でも、高齢者がつまづかない、車椅子でスムースに動ける、トイレの心配もないことを基準にすべきです。このようにすべての施策を、福祉中心、優先の考え方で進めていく事が、「福祉でまちづくり」という「で」の意味です。
また、福祉の問題について基本的に思っていることは4つあります。
一つは、障害があることや歳をとって体が不自由になることは、決して不幸な事ではなく不便で不自由な事であるという事。私たちは、体が自由に動かない、耳が聞こえない、目が見えない不自由さ、車椅子の不自由さをわかり、それを解消する事を考えなければならない。つまり、同情や哀れみではなく、思いやりとやさしさが必要だという事です。
福祉用具の元祖のようなものが3つあります。一つはくつべら、ひとつはライター、ひとつはめがねです。これらは、本来くつひもが結べなかったり、火がつけにくかったり、めがねはおわかりのとおりです。めがねがないと、仕事や日常生活に大きな支障をきたしますよね。福祉用具もめがねようにならなければいけないと思います。
二つ目は、まちづくりを進める上で、障害者や高齢者にとって住み易いまちは、だれにとっても住み易いまちであるという事。先ほどの防災や道路の事から考えてもそうです。
三つ目は、福祉施策は特定の人のためでなく、すべての人に対する施策だということ。誰もが歳をとります、また、障害を持つ可能性は、誰にでもあります。交通事故、あるいはストレスを生む社会環境に原因もあります。つまり、誰がそうなっても安心して暮らせる社会、必要が生じた時必ず社会的支援を受けることができる権利を、すべての人に当たり前に保障する事だと思っています。
四つ目は、障害者高齢者と行政福祉施設との関係は、基本的に対等であるはずなのに、実際はそうはなっていないという事です。つまり「援助する」立場と「援助を受ける」という立場があります。痴呆や寝たきり、知的障害者の方は、社会の中でも施設の中でも、心ない人が周りにいると、いじめや差別などの被害にあい、人としての尊厳や人権が侵されやすくなります。それを防がなければなりません。
医・職・住・遊の充実
医とは医療、職は仕事です。住は住まい、遊はスポーツや、文化活動、趣味の活動などです。これらが総合的に、施策として取り入れられなければならないと考えています。
私は、10年前に手話を初めてから、聴覚障害、視力障害の方、車椅子を使っている方、知的障害や精神障害回復者の方、そしてそれぞれのボランティア活動をされてる方と出会いました。障害者の方やご家族、またそれらのボランティア活動をされている方の中には、お仕事としてこども、高齢者、障害者の福祉施設や作業所、医療施設で働いていらっしゃる方も多く、その人たちとの交流や、施設へお伺いすることによって、福祉の問題を考えることができました。パソコンやインターネットと福祉の連結、産業界の人たちに福祉の問題をお話をしたり、提案をしたりしてきました。これらの人間関係の支えられ、同じ思いをお持ちの多くのみなさんの声を代弁し、気持ちを行政にぶつけるのが私の大きな役割であり、この面に関しては誰にも負けない役割を果たしていきたいと思っています。
最後に議員のあり方についてお話をします。基本的に3つの考え方を持っています。一つは顕微鏡のような目と、望遠鏡のような目を持つということです。顕微鏡というのは、一人ひとりの生活、地域の中で起きる問題を、ひとつ一つ解決していくきめ細やかさです。望遠鏡のような目というのは、市政全体の現在、将来を見渡し、市政の新しい仕組みを作っていく事です。
二つ目は議員が少なくてもよい仕組みを作ることです。
市政のチェックというのが議会の大きな役割ですが、これを情報公開によってだれでもチェックすることができるようにすること。新居浜市も情報公開条例がありますが、範囲をもっと広げないといけません。それと、本当に意味の市民参加ができる仕組みづくりが大切です。各種審議会や懇談会をいうのをよくつくります。ここで出された結論は、市民の代表の意見を聞いて了承されましたとなっていますが、そうでしょうか。「最終案終わってみれば当初案」というような事がよくあります。もちろん当初案は役所が作ったものです。これを審議会委員を広く市民から募る、会も夜にも開くなどの制度を取り入れて、変えていかなければなりません。誰が行っても出来ることは出来る仕組みを作ることも大切です。これらのことが本当に進んでいけば議員の数を減らしてもよい事になると思います。
三つ目の役割としては、縦のものを横にする、まとめるということです。
役所の中組織で言えば、 縦割り行政を横につなげる、まとめるということです。先ほどの福祉の問題でもすべての部にまたがる問題です。役所の中のたらい回しという事も相変わらず行われています。縦割り行政の弊害をなくすのが役割です。
そして、先ほどいろんな方と知り合えたと言うことを申し上げましたが、先の県政についてお話を聞く会はそんな取組でした。県議に出ようとする人7人全員と面識がありました。障害者団体、手話サークル、点訳グループ、朗読、ひまわり号、要約筆記、精神障害回復者の会、わかば作業所のみなさんとも、同じ仲間として、また行事を通じて知り合っていました。それらのみなさんが、障害者の社会参加、政治参加という事について、打てば響くように協力をしていただいて初めて開けた会でした。これは、みなさんと障害者の社会参加という事の重要性、理念が共通していたからだと思います。私は幸い他に仕事をもたず、拘束される時間はお勤めの人より少ないと思います。またいろんな人とつきあいも多く、情報も入ってくる立場の者として、その立場を正しく使いたいと思います。それぞれに別々に、働き生活しているみなさんのご意見、お考えをお互いに紹介する、みんなが輪になるようにつなげていくのも私の役割だと思っています。
現場主義 中坊公平 現場に神がやどる 机に座っていない議員の役割
最後は現場主義です。中坊公平さんは「現場に神が宿る」とおっしゃています。現場にこそ真実があるというものです。じっと机に座っていなくてよい議員という立場だからこそ、みなさんの声を聞き、現場をしってる議員になりたいと思っています。
最後「一人ひとりを特別扱いしながら、誰一人として特別扱いしない」ということばを申し上げたいと思います。特別扱いするというのは、良い意味で使われることの方が少ないかもしれません。しかしこれをあえて申し上げるのは、その後の誰一人として特別扱いしない、とあるからです。私が知っているボランティアグループのみなさんは一人ひとりを大切にします、そして誰に対しても同じように接します。この言葉はそういう意味です。一方役所は「あなただけを特別扱いできません」、と言います。それが正しいと思っています。しかし、そうでしょうか。役所に相談にくる、困った時、苦しいとき、福祉の問題だけではありません。そんな時にはお一人お一人に対して親身になってあげたらいいんです。特別扱いすればいいんです。その代わりどなたがそうなっても同じように接するんだという信念と自信があれば、誤解を受けるような事は起こらないはずです。
以上のようなことを考えながら、今後とも活動してまいりたいと思います。
よろしくお願い申し上げます。